前回の記事のつづきです。
亡くなる約1週間前
7/23(日)に、お医者さまから、余命は2週間からもって1ヶ月と言われていました。
それから2週間以上が経過し、時の流れに心は全く追いついていませんでした。
もちろん、余命宣告よりずっと長く生きられる場合もあると思います。
でも、8/10(木)、また1段階病状が進行したように感じ、仕事は休ませてもらうことにしました。
もう、少しでも父と離れたくない思いでした。
8/8の朝体調が良く、数分ですが庭に家族で出られたことが嘘のようです。
まだ、食事は好きなものを食べられていましたが、苦しい時間が増えていきました。
8/11(金)、私の夫も早めに仕事を切り上げて来てくれました。夫は私の父を実の父のように慕っていました。
いただきもののスイカがあったので、皆で夏の思い出をつくろうと、スイカ割りと花火を庭でやることになりました。
弟と、私の夫が集うといつも楽しいイベントを勢いでやることになります。
父はもう外には出られませんが、姉、弟、私、私の夫、孫たち4人が庭で花火やスイカ割りをする様子をリビングの窓を開けて母と一緒に笑顔で眺めていました。
8/12(土)、姉の旦那さんも来てくれて、また賑やかになりました。
昼ご飯を全員で食べて、弟夫婦は熊本に帰りました。
8/13(日)、咳が治まらないので、新しく処方された漢方の咳止め飲んだけれど、咳は止まらず。
ちなみに、この日の夕飯は、ブリの照り焼き、冷や奴、明太ポテト、焼酎水割り、メロン、こんにゃくの煮物とたくさん食べました。
尿をするときは、ポータブルトイレを使用する父も、大便をするときは自宅のトイレに行っていました。
でもトイレに行ってベッドに戻ると、酸素濃度が85
まで下がって、苦しそうでした。
酸素量は、最大の10リットル/分に上げています。酸素チューブよりも、酸素マスクの方が良いとお医者さまはおっしゃっていましたが、酸素マスクは息苦しく感じるようで、頑なに嫌がってつけませんでした。
ベットの背もたれを少し上げた状態でないと苦しく、足の方も高さを出さないと下の方にずり落ちてしまうので、ベッドの角度も大事でした。
その日の夜、いつもはもう皆も横になっていて大丈夫という父が、今日は近くにいて欲しいと言いました。
嫌な予感があったのだと思います。咳が止まらず、熱も上がってきてガタガタ震えてきたので、もう私たちはこわくてすぐに看護師さんに来てもらうように連絡しました。
来てもらうまでの30〜40分がとても長く感じました。
飛行機で家に帰ったばかりの弟にも連絡しました。弟は、結局トンボ返りをすることになりました。
看護師さんが状況を見てお医者さまにも来ていただけることになりました。
それから、1時間弱。父も「まだか〜まだか〜、時間が経つのが遅く感じる」と言って辛そうでした。
父らしいと思ったのは、「これは、もうどこかで手を打たないと」と言ったことです。
どこまでも主体性の強い父です。
もう痛み止めで処方された薬は飲んでいて、母、姉、私は父の手足をさすったり、近くにいることくらいしかできませんでした。
それから、お医者さまが夜中に診察をして下さり、モルヒネを少しずつ点滴で入れることになりました。
夜中にも関わらず、すぐに来てくださる看護師さんやお医者さまには感謝しかありません。
そして、早朝になってようやく眠りにつくことができました。
8/14(月)、朝一で、薬剤師さんが薬を届けにきてくれました。
医療のプロたちが連携してすぐに対応してくれるのは、とても心強く感じました。
この日は、いくつか処方された経口薬のモルヒネやオプソなどが頼りです。
この日はさすがに食欲はなく、R1ヨーグルトや、栄養バランス飲料などを少し口に含みました。
そして、熊本に飛行機で帰ったばかりの弟夫婦が午後また帰ってきました。
前日の夜、お医者さまを待っている間は、熱もどんどん上がってきて、ガタガタ震えて苦しそうで、最悪を考えたので、父の意識がはっきりしているときに弟夫婦が戻ってこられて本当に良かったと思いました。
その日の夜もとても長く、どんな体勢でも辛そうでした。皆で父の側で体をさすったり頭や脇を冷やしたりしながら過ごし、朝を迎えました。
長い長い夜が明け、朝方になるとようやく楽な時間になってくるので、皆で喜びました。
カーテンを開け、父が大好きな庭を皆で眺めます。庭の手入れは父がずっとやってきたことです。
明け方父が眠れると私たちも体を休めます。
この日も食欲はなく、栄養バランス飲料などを少し口に含みました。
何か飲む?と聞くと、寝ぼけながら「焼酎の水割り」と言いましたが、さすがにお酒はやめました。
いつも水割りにレモンを入れているので、氷水にレモンを絞って渡すと、「うまい!」と喜んでいました。
この日の夜も辛い時間が長く、お医者さまに翌朝来てもらうようにお願いしました。
8/15(火)朝、私と姉の旦那さんも駆けつけてくれました。
夜中熱で汗もかいたので、弟と体をタオルで拭きました。
アロマオイルをいくつか持っていたので、父に選らんでもらって、お湯にラベンダーのオイルを垂らし、タオルをつけてしぼりました。
父は「最高!」と言って喜んでくれました。
エアコンの温度を下げても、父が「暑い暑い」と言うので皆でうちわで代わる代わる扇ぎました。
孫たちは別室で大人しくしていましたが、一人ずつうちわで仰いで言葉を交わしました。
それから、父は私たち一人ひとりの名前を呼んでよく皆の顔を見ました。
そして、家族に感謝の言葉や、子どもたちがそれぞれ自立して家族をつくって、思い残すことはないと話しました。
その後、お医者さまが来て、モルヒネの量を調整すること。もうしっかり意思疎通ができなくなることなども告げられました。
父も納得して了解しました。
つづく