ワーママイズム

小学6年生と4年生の子どもを持つワーママの生活

父の死2-① 肺がん最後の一ヶ月と自宅での看取り 体験談

8月17日(木)に父が亡くなってから、1ヶ月間が経ちました。

まだ、父はどこかにいるような気がしてしまいます。

でも、母に会いに休みに実家に帰るといつも明るく出迎えてくれる父がいない現実に直面して涙が止まりません。

父が余命宣告を受けてからの約1ヶ月は、毎日家族皆が必死で、頭は父のことでいっぱいで、毎日感情が揺さぶられたり、寝不足が続いたりと怒涛の日々でした。

最後は自宅で家族全員に囲まれて亡くなりました。

同じ肺がんでも、その人によって進行具合は様々かと思いますが、脳裏に焼き付いている父と家族の最後の日々や奇跡を残しておきたいと思います。

肺がんの疑い

父は、約1年半前に肺に影があると言われてから、再検査は頑なに拒んでいました。

その頃のことを書いたブログ

何冊も関連する本を読み、帯津先生の考え方に深く共感した父は、直筆の手紙を出して川越の帯津三敬病院にお世話になることになりました。

奇跡①

父が希望する先生に見てもらえることになったこと。

帯津三敬病院に数ヶ月に1度通いながら、父は生活習慣の改善に取り組みながら、やりたいことを大事にして生活していました。

亡くなる約一ヶ月前


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それから、しばらく経ち、7/21(土)は父の75歳の誕生日。母とケーキでお祝いしたそうです。

その翌日の7/22(土)の朝、母から、「お父さんが背中の痛みを訴えてる。不安だから来てほしい」と私にラインが入りました。

我が家は実家まで車で30〜40分ほど。

その日の夕方に実家に帰ると、いつもと父の様子が全く違いました。

以前から痰が出やすくはなっていましたが、本当に数分に1回は痰を出しているような感じで、息苦しくて長くおしゃべりができません。

それに加え、咳をすると背中が痛むと言います。

私はすぐに姉に電話をして、父の様子を伝えました。一週間ほど前には、最近引っ越した姉の家を父母で訪れて孫たちにも会い、お酒もたくさん飲んで楽しんだそうなので、姉はとても驚いていました。

姉は実家まで1時間と少しかかりますが、すぐに来てくれると言います。

父は日頃から19:00くらいになると寝てしまうくらい早寝なので、姉が来る頃には寝てるかもしれないと伝えましたが、様子を見に行くと来てくれました。

姉が来た頃には父は寝られているようでしたが、母が不安になっているので、3人でいることで少しは気が紛れたようです。

私と姉は一泊し、7/23(日)朝、父は昨晩に比べると大分調子は良さそうだったので、少し安心しました。

翌日月曜日は丁度通院している帯津三敬病院の予約をしている日でした。

父は明日は病院だしもう大丈夫だから、家に戻って大丈夫だよと私たちを帰らせました。

弟は熊本に住んでいて、すぐに来られる距離ではないし、連絡するほど体調が悪そうではないかな?と思いつつも、昨晩のことを思い出してやはり連絡することにしました。

経緯を弟に伝えると、すぐに弟は飛行機のチケットを取りました。次の休みに帰ると言います。

居ても立っても居られなかったようです。

しかし、夕方になるとまた体調が悪くなり、その7/23(日)の晩、救急車で運ばれることになりました。

奇跡②

入院したのは75歳になった後。医療費負担が1割になるのを待っていたかのよう。

そして運ばれた病院で、父は末期の肺癌で余命は2週間〜もって1ヶ月だと宣告されました。

そんなに余命が短いとはショックで頭が真っ白になりました。

7/24(月)は仕事だったので、頭の中は整理できていませんでしたが、上司に報告し、可能な限り病院へ行きたいことを伝えました。

ありがたいことに、とても理解のある上司で、勤務時間やリモートワークなど、働き方は私に任せるからなるべく会いに行ってあげなさいとおっしゃってくださりました。 

入院した7/24(月)は、仕事を持ち帰り、私と夫と息子と娘で夕方お見舞いに行きました。

すると、父は酸素マスクと点滴をつけ、椅子に座っていました。

父は、「弟に伝えたら、余命1ヶ月を1年と勘違いしていて、1ヶ月と分かってびっくりしていたよ、ワッハッハ」とあっけらかんとしています。

そして、「ノンアルコールビールをこっそり持ってきてほしい!病院食は味がなくて絶えられない!明太子や葉唐辛子を持ってきてくれ!」と言って、面会中に、ノンアルコールとつまみでこっそり乾杯をすると、とても嬉しそうでした。

酸素マスクをつけているからか、苦しそうな様子はなく、いつもの明るく元気な父のようでした。

余計に、余命がそんな間近に迫っているとは信じられませんでした。 

その頃の血中酸素濃度は酸素マスクをつけた状態で92〜94%くらいだったと思います。

トイレに行ったり動くと下がります。

運ばれた病院は面会が13時から18時まで、20分2名ずつというルールでした。

父の兄妹や姉家族やうちの家族などが面会に行きました。

でも、夕方になると父が疲れてきてしまうので、会えるのは昼過ぎにほんの少しだけです。

リモートワークにさせてもらったり、早く出勤したりして、少しでも顔が見たくて毎日会いに行きました。

奇跡③

子どもたちは7/22(土)から夏休み。学校があるときは、子どもたちの学校の支度も見ないといけないので、早く出勤はできません。

夏休みに入った直後という奇跡的なタイミングで、仕事の調整ができました。姉も子どもが2人いるので同じです。

しかし、7/24(月)の元気は日に日になくなりました。

初日は椅子に座っていましたが、翌日はベットの背もたれを上げてしゃべり、その次の日には寝たままといった感じでした。

夕方頃から熱が出始め、抗生剤でなんとか熱が落ち着くような感じでした。

点滴で薬を入れてもらっているので、咳はそれほど出ていませんでしたが、だんだんと痩せていきました。

20分の面会はあっと言う間で、毎日毎日が貴重な時間で、感謝の気持ちを伝えきれません。

熊本に住んでいる弟夫婦は7/27(木)の夜中に実家に帰省予定。早く会いたいのに、会えない弟は辛かったはずです。

でも、弟に電話したときに、すぐ飛行機のチケットを取ってくれて本当に良かった。

 

長くなったので次につづく、、、