ワーママイズム

小学6年生と4年生の子どもを持つワーママの生活

父の死1 死生観

8月17 日に父が亡くなりました。

75歳でした。

本当に大好きな父でした。

父は家族を太陽のようにいつも照らしてくれました。子どもたちのことはもちろん、私や姉や弟の配偶者や孫たち皆を照らしてくれた。

父の考え方や生き方を尊敬していたし、父のようになりたいと思っています。

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明るく優しい父はとっても意志が強い部分もありました。

こうと思ったら突き進むのみです。

周りが何を言っても揺らぎません。

約1年半前、前立腺肥大症のため病院でレントゲン写真を撮った際に肺に影があるとお医者さまから言われました。

父はしばらく周りには黙っていました。

その後、父は母に伝え、子どもたちには心配をかけるから言わなくていいと言っていたようです。

でも、母は一人では抱えきれずすぐ姉、私、弟に伝えました。

そのとき、すぐにでも再検査を受けてほしいと思い、父と話をするも、再検査は受けないと頑なでした。

こちらの方が不安で不安で毎日泣いていました。

通勤中など、もしものことを考えると涙がボロボロ流れました。

でも、父は既に何冊も肺がんに関する本を読んでいて、考え抜いた結果、再検査はしないと決めていました。

父ははっきりと死生観を持っていました。

以前から延命治療は絶対にしたくない、人工的に鼻や胃から栄養を補給されて生き長らえるのは絶対に嫌だと言っていました。

東洋医学の考え方で免疫力を高められるよう、生活習慣の改善には取り組んでいました。

その上で、70年以上生きたのだから、最後まで生きたいように生きて病気で死ぬならそれが天寿だと言っていました。

また、最後は自宅で死にたいという希望もありました。

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それから時は流れ、私たち家族は、父を説得するのではなく、父の人生父が望むように生きられるように、サポートしていきたいという考えに変化していきました。

周りには、「こんなに元気で何も症状がないのだから、肺がんかどうかだって分からないよ」と言いつつも、父はやりたいことリストをしっかりつくっていました。

母とあちこちへ旅行に行ったり、友達と大好きなお酒を飲んだり、カラオケをしたり。

家族全員で旅行もした。

熊本に住んでいる弟夫婦のところへも、一緒に行こうと誘って行けて本当に良かった。

自分に置き換えて考えると、70歳を過ぎたからといってそんなに達観して死を受け入れられるとは思いません。

でも、現時点で言えることは、悔いのないように今を一生懸命生きようということ。