ワーママイズム

小学6年生と4年生の子どもを持つワーママの生活

父の死2-② 肺がん最後の一ヶ月と自宅での看取り 体験談

前回の記事の続きです。

亡くなる約3週間前

7/28(金)、救急車で運ばれた病院から、父が希望して通院していた帯津三敬病院へ転院しました。

病院では、父が敬愛する帯津先生が父の個室に会いに来てくれ、父は感激していました。


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奇跡④

熊本に住んでいる弟が飛行機の予約を取ったときには何も決まっていなかったのに、転院する前日に弟夫婦が埼玉に帰ってきてくれていたこと。そして、弟は転院翌日に熊本に帰りました。

荷物を運んだり主治医の話を聞いたり、母1人ではなく弟も付き添えたことは、母にとってとても心強かったと思います。

そして、転院後帯津三敬病院の主治医からも、「お盆を超えられるかどうか分かりません。」と宣告されました。

さて、帯津三敬病院では、面会が1日に1組(2名まで、親族のみ)で、15分までというルールでした。

父の友人など、面会に来たい人もたくさんいましたが、親族しか会えません。

弟夫婦は遠方から来ていますし、面会は優先です。次はいつまた会えるか分からないので、15分は短すぎました。

実家ではいくらでも話せたのに、15分しか話せないなんて、とても辛いです。

そして、まだ会っていない父の兄妹も会いたがっているので、あっと言う間に父の面会予定は埋まりました。父は日程調整や知人とのやり取りでボケてる暇はないよと言っていました。

父は自宅に帰ることを希望しており、お医者さまからも自宅の方が父にとっては幸せですと薦められました。

でも、初めてのことで、当時は先々どうなるのか全く見えませんでした。

病院では、転院した日7/28(金)に、母がソーシャルワーカーから在宅看護の準備について説明を受けました。

その日、家族で今後のことや体制を整えるため、実家に母、姉、私、弟夫婦が集まりました。

ソーシャルワーカーから説明を受けた母からは、まだ、いつから在宅看護ができるのかは見えないけれど、まず、自宅に介護ベットやポータブルトイレ、酸素ボンベなどを置いて準備をすることを聞きました。

7/23(日)の時点で、余命は2週間からもって1ヶ月だと言われていたので、父が望む自宅看護に早く切り替えたいという焦る思いがありましたが、7/28(金)の時点で私たちにできることは、介護ベットをどこに置くか決めることと、誰がいつ看護ができるか予定を立てることくらいでした。

先々どうなるか分からないけれど、5〜6日以内に在宅になるのは難しいだろうと読み、在宅看護になるまでは、それぞれ仕事を頑張ろう、それ以後はなるべく皆調整できるように準備しておこうということになりました。

ざっくりと、翌週の週末〜一週間は最低2人はいるように予定を組みました。

弟は飛行機のチケットを取らないと行けないので、また父に会えるだろうかと悩んでいました。

でも、もう余命が短いと宣告されているのだから、「父が危篤です。」と言って帰ってきな!と言うと、職場に思いを伝え、長期休暇を取ることができました。

在宅看護になるまで、父に会えないとメソメソしている場合じゃありません。面会予定は埋まっていますし、先々在宅看護がしっかりできるように、猛烈に仕事をしました。

その頃の父は、食欲がなくなってきていました。39℃近く熱が出ることもありました。

酸素をマスクや鼻へのチューブで投与していましたが、酸素量は4リットル/分とのことでした。

8/1(火)、在宅看護について、ぐんと話が進みました。8/2(水)にケアマネジャーから、自宅に業者さんが介護ベットとポータブルトイレを設置しにきてくれると話がありました。

テキパキとしたケアマネジャーさんで本当に助かりました。

あとは、病院で介護タクシーの手配ができればすぐに在宅看護に移れるとのこと。

また、訪問看護ステーションで、訪問医や看護師さんの手配をしてくれると言います。

8/1(火)、父の酸素量は5リットル/分。朝は平熱で気分はまぁまぁ。午後になると熱が上がってきてだるくなってくるとのこと。痰は結構出る。咳は薬で抑えられているとのことでした。

8/2(水)、一度熊本に帰っていた弟夫婦が帰省。理解のある職場に感謝です。そして、一緒に来てくれる奥さんには感謝しきれません。

その日、自宅には介護ベットとポータブルトイレが設置されました。

介護ベットは、リビングの庭がよく見える場所に設置。父は庭の手入れをずっとしていたので、きれいな庭が見える場所にベットを配置したのは後々、大正解だと思いました。

そして、この日に、8/4(金)に退院して在宅看護に移れることが決まりました。

我が家の場合は、在宅看護を希望してから実際に在宅看護になるまで一週間でした。

奇跡⑤

またまた、弟夫婦が丁度よいタイミングで戻ってきてくれました。飛行機を予約する時点では、先が読めなかったので、あんまり早く帰ってきても父がまだ自宅にいないかもしれないし、やることもあまりないかもなんて皆で言っていましたが、退院日の前日、前々日、当日はやることがたくさんあったので、結果的に早めに弟夫婦が帰ってきてくれたので、なんとかなりました。

8/3(木)、 酸素吸入機を業者さんが自宅に持ち込み。その後、訪問看護ステーションの責任者が訪問されて契約。

ワイヤレスチャイムや尿瓶など必要なものを購入するなど、母と弟夫婦が対応してくれました。

父は呼吸が苦しくなり、酸素量を5から6L/分に上げてもらっていました。血中酸素濃度が88になると苦しくなり93を超えると楽になるとのこと。入院してから2週間足らずで、体重は70kgだったのが64kgに減少していました。

後半は特に食欲がなかったようで、食事は半分くらいは残していたとのことです。

 

 

次につづく。